夢としてのクソゲー

작성날짜 : 2022-04-04

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超能力開発ゲーム『マインドシーカー』 


「ファミコンを通じて超能力を開発する」というテーマで開発されたゲームがあった。

1980年代当時の日本の超能力ブームのなか、超能力者として知られていた清田益章氏(通称、「エスパー清田」)が監修した『マインドシーカー』(FC,1989)という作品だ。作中に登場する清田氏の指示をこなし、この作品を遊ぶことで、実際に超能力が使えるようになる……ということになっていた。


筆者も、このゲームを昔、実際にやってみたことがある。しかしながら、そもそもゲームが要求する課題に応えることができない。「では、まず透視をしてみましょう」とか、「予知をしてみましょう」というような課題が次々に出てくる。残念ながら、かすかな超能力も秘めていなかった(?)筆者にとっては、初期の課題からしてすでに達成困難だった。そのため、超能力は得るには至らなかった。


『マインドシーカー』は、まともにクリアすることができず、まともに楽しむことも難しく、(おそらく)超能力を開発することもできない。それゆえ、この作品は、何一つ成功を収めているとは言えない作品であると言ってもいい。


そう、何一つ成功を収めていないのだ。

しかし、それでも、この作品には、特筆すべきものがあると言いたい。

それは、作り手と、遊び手の、ゲームへの「夢」が詰め込まれているということだ。そのあまりに直接的な夢のあり方の痕跡を確認できるという意味において、この作品ほどわかりやすい作品は珍しい。本稿では、この「夢」をどのように評価するべきかということを少しだけ書いてみたいと思う。



夢の装置としてのコンピュータ・ゲーム


『マインドシーカー』の発売された当時、コンピュータ・ゲームという文化が、かつて担っていた面白さの一部は、このようなものだった。すなわち、人々の無制限な夢を実現してくれる機械であるということだった。


コンピュータの中のキャラクターと対戦ができる。登場人物と話ができる。モニターに向かって銃を撃ったら反応を返してくれる。声を入力することができる……今では当然とも思えるこれらのことは、1980年代に多くの人の目の前に急速に日常に現れた新しいテクノロジーのあり方だった。「コンピュータが進化すれば、ゲームでなんでもできるようになる」という、無責任な夢を多くの子供が信じたし、ゲームの作り手は、その夢をどんどん具現化していった。それが1980年代の、ファミコンがヒットし、ゲームというメディア自体が多くの人の、果てしない夢を、ある意味で無責任に担ってしまうことが可能だった時代の風景だった。


もっとも、テクノロジーが人々の「夢」を無責任に背負うという構図それ自体は、コンピュータば・ゲームに限ったことではない。佐藤俊樹は、情報社会の未来を語る情報社会論の言説が何度も何度も同じ夢を繰り返しみてきたということを1996年に指摘している(『ノイマンの夢・近代の欲望』1996,講談社選書メチエ)。1970年代にも夢は語られ、1980年代にも夢は語られ、繰り返し、繰り返し「情報技術が社会を変える」という「神話」が語られてきたという。佐藤は、図書館のなかに溜まっている情報社会論を議論する構図がほとんど変化していない、ということをある日、発見し、そのことに驚いたという。


「コンピュータがどう社会を変えていくか」という言説が、オトナが社会に見る夢を際限なく拡大させる装置であるとするならば、1980年代のコンピュータ・ゲームは、子供が遊びに見る夢を際限なく拡大させていく装置であったと言ってもいい。1980年代の世界は、その夢の「素朴さ」という点において、2022年現在とは隔絶したものがある。もちろん、2022年現在においても、人々はAIに過剰な夢を託し、もっと本格的なVRゲームの実現を心待ちにしている。しかし、1980年代に見られた夢とは、どうも、その性質が異なっている。



誰が、1980年代のクソゲーの担い手だったのか?


何が異なっているのかといえば、無茶な夢の担い手が、一体誰だったのかということだ。


1980年代の伝説的なクソゲーを作ったのは、ポッと出の新人 や、他業界の素人 には限らなかった。「クソゲー」の担い手は、しばしばゲーム業界の中心人物だった。 


『マインドシーカー』の開発プロデューサーは、あの『パックマン』の生みの親である岩谷徹が勤めている。そして、開発の中心にいた鈴木浩司は、その後1997年にRPGのあり方に大きな波紋を投げかけた『moon』の開発に関わり、今で言うインディーゲーム文化の先駆けとなる作品に大きな貢献を果たした人物でもある。


ゲーム業界の重要人物が、「クソゲー」に関わるという構図は、実は珍しくない。アメリカの家庭用ゲーム機のマーケットの崩壊(いわゆる「アタリショック」)を導く要因の一部となった「伝説のクソゲー」として参照される『E.T.』(Atari 2600,1982)の開発担当者Howard Scott Warshawも、当時のアタリ社におけるスター開発者だった。『Yar’s Revenge』(Atari 2600,1981)というAtari 2600において最も売れたとされるタイトルの開発者である 。Howard Scott Warshawは、無茶な話を勢いよく引き受けて、『E.T.』を作った。


ちなみに、日本の1980年代の代表的なクソゲーである『たけしの挑戦状』は、今で言うところの「オープン・ワールド」の実装を夢見て、華々しく失敗した作品ということができるが、これはゲーム業界の内部ではなく、タレントのビートたけしによる素朴な発案だった 。


彼らは、コンピュータ・ゲームに人々が見ていた「夢」を引き受け、そして失敗したのである。


今思えば、それは、あまりにも馬鹿馬鹿しく、未熟で、粗末なものだった。そう、言うことはできる。そして、時代の寵児たちが、馬鹿馬鹿しい失敗をできたということは、ゲーム業界全体が若い時代特有の特権だったといってもいい。馬鹿げた夢をひきうけ、それに無謀に挑戦することが許されたのだ。それは、出来上がった作品を見てみれば、不幸なプロジェクトだったようにも見えるかもしれない。


しかし、2022年の現在から見てみれば、業界のトップスターが、ひどく馬鹿げた企画に、馬鹿げた予算をかけ、馬鹿げた情熱を注ぐということは、ほとんど見ない風景になってしまった。もちろん、突拍子もない企画でヒットを狙おうとすることや、失敗するプロジェクト自体は今でも存在する。しかし、そこにトップクリエイターが最初から張り付き、巨額の予算がかけられるということ自体は、ゲーム開発に関わるリスクの意識が発達した現代の大規模開発では、なかなか見られないものになった。


繰り返すが、1980年代のクソゲーのもつ「愚かさ」は、開発者たちの無能さゆえではない。むしろ、未熟で有能な人々が、夢を煮詰めたプロジェクトに全力で取り組んだものの痕跡が、1980年代の「クソゲー」なのである。



新しいものをつくる装置としてのクソゲー


これほどまでに、素朴な欲望の発露によって、大作を作ろうとする志しは、今となっては、むしろ眩しくすらある。 


「超能力を開発できるゲーム」など、馬鹿らしいにもほどがあるし、1980年代に大規模なオープン・ワールドのゲームをつくろうなどという野望もあまりに無理があった。

 

この後、コンピュータ・ゲームという世界のなかに漂う「夢」を引き受ける一つのピークとして生まれた作品は、1999年の『シェンムー』(DC,1999)だっただろう。『シェンムー』もまた、夢が詰め込まれた作品だった。『シェンムー』はもう一つの現実世界をゲームの中に実装しようという多くの人が夢見ることの一つを、愚直に実現しようとした作品の一つだ。この作品が残したのは赤字だけではなく、失敗とも成功ともなんとも言い難い強烈な印象だった。今の「オープン・ワールド」と言われる作品の多くは、直接にせよ間接にせよ『シェンムー』の試行錯誤の結果を反映させてつくられている。


コンピュータに人々が見る「夢」は多くの場合、無責任なものだ。


それはしばしば愚かだったり、詐欺まがいであると言ってもいい。その愚かさはしばしば滑稽なものになり、出来上がったものは笑いを誘う。人々が何かを笑うときというのは、ある認識の枠組みを外側からメタ視点に立てるようになっている瞬間でもある。夢は、その内側にまどろんでいるときには尊く、その外側に出れば、ときには笑いを誘う。「夢」を見るとういうことは、その意味で滑稽であることが宿命付けられたものだと言っていい。


ゲーム業界が成熟するほどに、笑えるほどに愚かな作品をつくることは大手のトップクリエイターの仕事としては難しくなった。その結果、1990年代も後半になってくると、より小さなゲームの開発元が果敢なクソゲーも、単に開発力不足によるクソゲーも、その両方を担うようになっていった。現代では広大に広がるインディーマーケットがその主力を担っている。


我々は、笑えるほどに愚かしいものをつくることによって、新しいものをつくることができるとも言える。我々が新しいものを見たいと思い、前に進みたいと思う欲望と、笑えるほどに愚かな作品をつくってしまうことは表裏一体の現象である。


私は『マインドシーカー』を起動して、久々に遊んでみると、そこにはもちろん、笑ってしまうような馬鹿馬鹿しさがある。たしかに、ゲーム自体は馬鹿らしいのだ。しかし、このゲームは、同時に輝いているようにも感じてしまう。それは、その馬鹿らしさを可能にしているものの存在を背後に感じ取ってしまうからだ。夢をみて見たいと思う人々の子供のようなワクワクとした気持ちが、この作品の裏側には横たわっている。それは無茶なものだったとしてもいい。


それこそが世界の多様さと豊かさのありようだ、と私は考える。






  

 井上明人


ゲーム研究者。現在、立命館大学講師。国際大学GLOCOM助教、関西大学特任准教授などを経て現在に至る。「ゲームとは何か」という問いを中心に据えつつ、ゲームのアーカイブや、ゲームを応用した社会的課題の解決に関わるプロジェクトなどにも取り組んでいる。




Akito INOUE


Game researcher. Currently a Senior Lecturer at Ritsumeikan University. After completing a master's degree at Keio University's Graduate School of Media and Governance, he worked as an assistant professor at International University of Japan GLOCOM and a specially appointed associate professor at Kansai University before assuming his

current position.  He is also involved in projects related to game archives and databases. He is the author of "Gamification" (NHK Publishing, 2012).